2018年10月10日

同級生逮捕という驚愕の検視法廷調書!

ありふれた食い物が人の命を脅かす!?

チーズを服に投げ入れられた13歳少年が死亡。殺人未遂容疑で同級生逮捕。ロンドンの中学校めぐり検死法廷
少年は乳製品に対する重度のアレルギーがあった。2018年09月23日
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/23/cheese-death_a_23538841/


子どもの食物アレルギー、治療や検査で8人が重症

横浜市の医療機関で食物アレルギー治療の臨床研究に参加した子どもが一時心肺停止になった問題に関連し、全国でほかの子ども8人も治療や検査で重い症状が出ていたことが19日、わかった。2017年11月19日 朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASKCM6FX9KCMUBQU011.html


人にはそれぞれ食物に好き嫌いといった嗜好がある。

どうしても酒が飲めない、なになにが食べられないという人はわりと多いものである。

若いとき友人の屈強な武道家に無理にビールを飲ませたら、一口飲んだら顔が真っ赤になってそのままぶっ倒れてしまい驚いたことがある。

友人は外見とは違って、アルコールをまったく受け付けなかったのである。

そのように苦手な食品があるとか、ただ嫌いというだけなら話はわかるが、それらに近づくのも恐ろしいとなると話は変わってくる。

もちろんあの「饅頭怖い」の類の話ではないのであるが、世の中には本当にアンコが嫌い、一口も食べられないという人もいるわけだからここらは奥が深いところである。

これに関していくつか江戸時代の奇談を集めてみた。


 
man.jpg 




享保年間のことである。

御先手を勤めていた鈴木伊兵衛という人はどうしたことか百合の花が無性に嫌いであった。

あるとき茶会で仲間が四五人集まった席で、吸い物が出て皆が箸をとったのに伊兵衛だけが不快そうな顔をして落ち着かない様子であった。

いかにも機嫌が悪そうにみえ箸も取らない。

皆が一体どうしたのかと聞くと、「もしかしてこの吸い物に百合の根でもはいっているのではないか」という。

「いや貴殿が百合が嫌いなことは以前から知っていることだから、そのような無礼なことはしない」と、主人が言う。

そうこうしているうちに同席している一座のなかの膳に、なんと百合の絵が描かれているのがあったのである。

これには皆驚いてしまった。

すぐにこの膳を下げて取り替えてもらったところ、伊兵衛は元のように元気になったというのである。


次は鍼師山本東作の伝える話である。

土屋能登守(土浦城主・九万五千石)の家来に樋口小学という医師がいたが、この人は非常に鼠が嫌いであった。

あるとき同僚達で一緒に食事をすることになり、彼もこの席に招かれた。

ところがこのとき彼だけが少し遅れて来ることになったのであるが、皆で「以前から 鼠嫌いとは聞いているが、いかにも妙である。本当かどうか一つためしてみようではないか」、ということになった。

そこで鼠の死骸を持ってきて小学が座る席の畳の下に隠しておいて、そ知らぬ顔して待っいることにしたのである。

しばらくして小学がやってきたのでその席に座らせ、膳も出させた。

すると小学は急に顔色が悪くなり、全身から汗を流していかにも苦しそうな素振りである。

「どうしたのだ」、と皆が声をかけるがそれに答えることもできないほど弱りきった様子である。

いまさら鼠を隠していることなど言えば果たし合いになるやもしれず、皆はそのことには口に出せないまま交互に介抱するより他になかった。

小学が帰宅したいというので人を付けて送っていったが、後から聞いてみると、宿に帰って後はすっかり回復して何のこともなかったということであった──。(以上『耳袋』より)


二つの事例によれば、嫌いな物は恐ろしいほど徹底して嫌いなのである。

ではこのような状況を強いられた者が、極限までいくとどうなってしまうのか。

これについても江戸時代の記録が残されているので紹介しょう。

元禄時代の尾張藩の御畳奉行が書き残した日記に次のようなものがあった。

元禄七年の出来である。

ある男がどうしたことか、焼き味噌を極端に恐れるということで城下で噂になっていた。

それを聞いた藩主源敬公(初代義直)は、この男を直に試してみようと酒宴に呼び寄せ焼き味噌を肴に杯をたまわった。

公は例の男に声をかけられ、その焼き味噌を手ずから下されたのである。

男は焼き味噌を恐れながらも公の御前で逃げることもできないまま、仕方無く手を差し出し頂戴した。

だがその途端、いきなりその手が強直してしまい引くことも曲げることも出来なくなってしまったのである。

この事態に驚いた公は直ちに男を次の間に引き下がらせ、掌の焼き味噌を捨てさせるという騒ぎとなった。

ところがその後、この男の掌には赤黒く味噌の痕が醜く残り、次第にその部分から腐りはじめてやがて死んだというのである。──

このように過去の記録としては残ってはいるが、厳密な意味での因果関係は分からないところではあろう。

こうした事例をみてどう考えるかである。

普通であれば何のこともない無いものが、特定の人にとっては体に害をなすという事態である。

ある種のアレルギー症とみるか、ショック状態があるところをみればアナフィラキシー・ショックというべきか。

いや、何らかの恐怖心からくるのであるのなら心因性、精神性の過剰反応というふうに片づけてしまうというのが西洋医学に近い考えというところであろうか。

むしろすっぱりと、このような現象は「電磁波過敏症」同様に西洋医学の範疇に入らぬと言い切るのが正論であろう。

イレギュラーな情報は削除しても支障はあるまい。

では東洋医学的にみて、こうした現象が説明できるのであろうか。

実は中国医学にはこのような現象を逆に応用した伝統的な治療手法がある。

古代から実践されていた握薬(敷掌心法)というのがそれである。

薬味を手掌にのせるだけ、あるいは握らせるだけで薬(の気)が身体に作用し、治療としての効力を発揮するというものである。

このような治療に関しては、古くは中国の葛洪(二八三〜三六三)や呉尚先(一八〇六〜一 八八六)の医学書にも記述があることが知られている。

具体的に例を上げてみよう。

16世紀末に李時珍の著した『本草綱目』の石燕(化石の一種)に関する記述によると、これは通常には痔や下痢に効能があるとされるのだが、最も注目すべき用法は雌雄があるとされる石燕各一片づつを、陣痛に苦しむ妊婦の両手に握らせた時に顕れるという。

なんと、それだけで妊婦が苦痛から解放されるというのであるから面白い。

すべては「気」のレベルの話である。

これが本当に事実かどうかは試していないので何ともいえないが、ここから拡大解釈したにしても、実際に石燕に薬気なるものがあるか、いや膳に描かれた百合の絵に気があるか、さらに鼠の死骸や焼き味噌に気があるのかといわれれば、これ以上は私としても答えようがないわけである。

何かの気が出ているとするならば、それがある人にとっては薬気となり一方では邪気となるわけだし、あるいは気ではなくて何かの波動・信号波・微粒子が身体に対して作用しているとこじつけたにしても、もちろんこれではすぐさま科学的な答えとはなりえない。

しかしとにもかくにも、この動植物や薬気に感応し反応する現象、要するに抗原抗体反応を想起させるような人体の未知の部分には少なからず興味が湧くわけである。


余談であるが、かって「文化ゴリラ」とまでいわれ自ら肉体を鍛え上げた作家の三島由紀夫は意外にも海産物の蟹を極度に恐れたということである。

「蟹」の姿そのものはもちろんのこと、蟹という字形さえも見るのを嫌って逃げたという。

当方は小豆でつくった「あんこ」が、大好きである。

ところが親族に「あんこ」の類いがまったく食べられないという者がいる。

この極端な取り合わせが可笑しくてたまらない。















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2018年05月10日

漢方医吉益東洞の小児の治療について

江戸期の名医の系譜

華岡青洲は世界で始めて全身麻酔を用いて乳がん手術を行ったことで知られている。

華岡青洲は天明2年(1782年)に紀州より京都に出て、当時名医としてして高名だった吉益南涯について漢方の古医方を集中的に学んだ。

華岡青洲は西洋のカスパル流外科学を学ぶ前に、こうした漢方の薬物についても研鑽を積んでいたことになる。

まさに名医の下に名医が連なっていたのである。

華岡青洲が師事した漢方医吉益南涯の実父吉益東洞もまた同様に著名な漢方医であったが、彼が著述した薬能学の専門書はベストセラーであったからその名は広く知られており、吉益東洞の門下には全国から六百名近い門弟が集まったとされる。

その吉益東洞の医案(治療経過の記録)のなかに特に興味深い記述部分があった。

「山城、淀藩の士人山下平左衛門は、《吉益東洞》先生に謁して曰く、「男ありて、生まれて5歳。唖にして癇、癇 日に一発或いは再発す。虚✈羸憊して、旦夕斃を待つ。且つその悶苦の状は日一日と甚だし。父母の情として坐視するに忍びず。願わくば、先生の術に頼りて、幸にひとたび起つを見れば、死すと雖も悔いなし」と。
  先生は因って為に之を診す。心下痞、之を按じて濡。乃って大黄黄連瀉心湯をつくりて之を飲ます。百日ばかりして、痞去りて癇は復発せず。而して胸肋妨張し、脇下支満す。唖は尚故の如し。又小柴胡湯及び三黄丸を作りて、之を與う。時に大陥胸丸を以て之を攻む。半歳ばかりして、一日乳母、兒を擁して門に倚る。適々馬を牽きて過ぎる者あり。兒忽呼びて「牟麻=ウマウマ」と曰く、父母喜び甚だし。乃ち襁負して倶に來り、之を先生に告ぐ。先生試みに糖菓を拈して、以て兒にその呼を挑む。
 兒忽ち復呼びて曰く「牟麻」と。父母以為(おもえ)らく「願いに過ぐ」と、踊躍して自勝せず。因って前方を服すること數月、言語卒は常の兒の如し。」《建珠録》


[以下意訳]
あるとき吉益東洞先生の下へ山下平左衛門という藩士が訪ねてきた。

彼が言うには、「自分には5歳になる男児がいるが、言葉がしゃべれず日に何度も癇を発します。身体は痩せ衰えて疲れ果てた様子で、いまにも死んでしまうのではないかと思える状態で、その苦しむ様は日一日と酷くなってきております。父母の情として座視しておられません。願わくは先生の医術におすがりし、幸いにも一度でもよくなった姿を目に出来るようでしたら、たとえ死んでも悔いはありません」という。


東洞先生はこれを受けて、その子を丁寧に診察して最初の処方を出した。

その処方を百日ほど服用すると癇が出なくなったが、以前同様その子はしゃべれないままであった。

東洞先生はここで病状の変化を見極めて、さらに別の処方を与えた。

このようにして半年ほど経過したある日、乳母がこの子を抱いて家の門によりかかっていると、たまたま馬を引いて行く人があった。

そのとき子供がいきなり「ウマ」と叫んだ。

声を発したのである。

父母の喜びは甚だしく、子供を負ぶってこのことを東洞先生の下へ報告に来た。

東洞先生は試しにお菓子をその子に示してみると、またしても「ウマ」といった。

父母は願いが叶ったことで、大喜びして躍り上がらんばかりであった。

その後もその処方を数ヶ月継続するうちに、言語は普通の子供同様にしゃべれるようになった。



時代背景が現代とは全く違うので、実際にこの子がどのような病状だったのかは判然とはしない。

ただここには、しゃべれなかった子供が名医の治療で普通にしゃべれるまでに回復したという驚きの事実が、しっかりと記されている。



唖とは言葉がしゃべれないことである。

癇とはいわゆる癇症のことであるが、『病名彙解』(蘆川桂洲)には次のように書かれている。

癇症・俗に云ふくつちがきなり、癲癇と連ねても云へり。大人のを癲と云ひ、小児のを癇と云へり。それ癇症は時に作り、時に止む。その癲狂の心を失して妄りに作り、久を経て癒えざる者と、もと一類にあらず

小児特有のひきつけの発作を指しているのであろう。










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2017年10月13日

伝説の名医が登場する物語・甲州弁

甲州弁で読んでやーた名医伝であったがゃ

あるとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしていると、その傾きかけただだくさな家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきよーた。

覗いてみると、母親が子供の枕元でうずくまるようにして泣いているではねぇきゃ。
老人は思わず声を掛けやーた。 

外からの突然の声に女は驚いて泣きはらした顔を上げやーた。

老人は静かに語りかけやーた。
優しそうな老人の言葉に、母親は気を許して事の次第を話はじめやーた。

 母親の話によると、子供の病状が一昨日より急に悪くなり、診てもらった医者はみゃあ手の施しょうがねぇと言って帰ってしまったという。

子供の意識は無く命はいくばくもねぇ様子で、みゃあ死を待つた〜けりだと言って母親は泣き崩れやーた。

 老人は気の毒に思い、自分は医術の心得がある、このまま見過ごすにはどうしても心残りだで、自分に子供の脈をとらせてはもらえまいかと言う。

 老人は一通り子の脈を診ると、母親に父親の所在を尋ねやーた。
この子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたという。

 老人はその答えに頷くと次のように言ったがゃ。

「やはりこの子の命は絶えそうであゃあ。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だけを受けて育てえる、父親の陽の気に包まれなかったことによゃあ。そのため体内の陰陽の調和がとれのうなったのだ。一刻の猶予もねぇ」

 そこで老人は母親に起死回生の妙法を教えやーた。

母親は、子供の命が助かるかもしれねぇと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていったがゃ。 

そこでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもない部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっていやーた。

 母親はその部屋に駆け込むと、若者たちが遊んでいた将棋の駒をひったくるようにして掴み取ると、すぐさま家にとって返しやーた。

 その将棋の駒を土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死を彷徨っていた子供は奇蹟的回復をみたのであったがゃ。──

 ここに登場こく老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を17世紀初頭に編纂した名医許俊(ホジュン)その人であったがゃ。

許俊という人物は家庭的には決して恵まれた環境で育った〜けではなかったがゃ。

 いわゆる妾腹の子であり、苦学して医を志したのであゃあ。逸話にもそうした許俊自身の幼少時の境涯が反映されているのかも知れねぇ。

 なんだた〜けた〜けしい、荒唐無稽の作り話ではねぇかと思われる向きもあろう。

実はこれによく似た名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるのだ。

 東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらのうなり、次第に衰弱していったことがあったがゃ。

方々手を尽くしたがどうしても病状が良くならねぇので父親が心配して、名医とし名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきよーた。
kada.jpg

 華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かって詳しく説明し始めやーた。

「その子の母親は次の子をすでに妊娠しているはずだ。そのために母乳中に本来含まれているはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのに多くが吸収されてしまい、その母乳は子供を養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっているのだ。

だでその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病は回復せんだろう」と、明解な病理、病機を示したという。

 中国には「名医、棺を返す」と言うような名言があるらしい。

こりゃ名医というものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲がそうであろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり当てはまるような話が残されていゃあ。

 孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇しやーた。

よくみゃーとその棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちているではねぇきゃ。不審に思った孫思邈は行列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなったのかを尋ねやーた。 

孫思邈が医者であることが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産できずに数時間前に死んでしまったといかん、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇願しやーた。

 棺の蓋を開けさせると、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようであったがゃ。脈をとってみると、かすかに触れてくるではねぇきゃ。

 孫思邈はまだ望みがあると思い、素ちゃっと鍼を取り出し経穴を定めて打ったがゃ。

しばらくこくと妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきよーた。

 脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」という産声が聞こえ赤ん坊が生まれたのであゃあ。

この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声を上げやーた。
何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命を救ったのであゃあ。

 このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医者として尊敬を集めていゃあ。





















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2017年07月11日

古代中国史に登場する名医はどこから来たのか?

伝説の名医・華佗

はるか昔、中国の後漢末期に華佗(か だ、? - 建安13年(208年))という名医がいた。

華佗は、薬学・鍼灸に非凡な才能を発揮した医師であったが、彼がもっとも得意とする医術は外科手術であった。

華佗の外科手術については、歴史書の三国志と後漢書に記録がある。

Guanyu『華佗字元化、沛國譙人也、一名旉。遊學徐土、兼通數經。曉養性之術、年且百歲而猶有壯容、時人以為仙。沛相陳珪舉孝廉、太尉黃琬辟、皆不就。精於方藥、處齊不過數種、心識分銖、不假稱量。針灸不過數處。若疾發結於內、針藥所不能及者、乃令先以酒服麻沸散、既醉無所覺、因刳破腹背、抽割積聚。若在腸胃、則斷截湔洗、除去疾穢、既而縫合、傅以神膏、四五日創愈、一月之間皆平復。』(『後漢書』方術列伝 )




彼は鍼灸や投薬で治せない病の患者の場合は、麻沸散とよばれる麻酔薬を酒とともに投与して患者の意識を失わせたあと、腹部を切り開いて患部を切除し、さらに腹腔を洗浄し切開部を縫合したのちに薬草の軟膏を塗って傷口の治癒を促したとされる。

歴史上最初の麻酔外科手術ということになるが、華佗の外科手術の術式などの情報は彼が曹操によって殺害されたことですべて絶えてしまった。

当然のことであるが、ここで言えることは史書に記録があるからといって、これがすべて事実であったとはいえないではないかということである。

何の検査機器もなく、消毒薬などの化学薬品もなく、しかも医学的診断技術も知識もなかった古代において、そのような外科手術などが行われたなどというのは疑わしいいではないか。

しかしながらこれが単なる古代人の空想であったとしても、ここまで細かく考え及ぶものであろうか?

華佗の外科手術の術式が気になるところであるが、そもそも治療するうえで、こうした外科手術を行うという治療技術の発想はどこからもたらされたのであろうか?

麻酔薬を使うという発想自体、あまりにも専門的かつ画期的過ぎる発想ではないか。

しかも病気の根源(患部)が腹部にあると特定する診断技術まで揃っているとなると、やはりこれは人類史から考えても俄かには信じがたいことではある。

さらにいうならば、外科手術を行うことで患者が回復するという華佗の医師としての確信(医学情報)そのものはどこから得られたのであろうか?

華佗は「鍼灸や投薬で治せない病の患者には、麻沸散とよばれる麻酔薬を酒とともに投与して患者の意識を失わせたあと、腹部を切り開いて患部を切除し、さらに腹腔を洗浄し切開部を縫合したのちに薬草の軟膏を塗って傷口の治癒を促した」というように、この一連の治療の流自体は現代人にも納得できる西洋医学の外科手術の術式に比較できるもののようにも思える。

華佗の詳しい出自は分からない。

中国人であったであろうが、いわゆる伝統的な従来の中国医学とは異なる医術を行っていることが奇異でもある。

当時のシルクロードを経由してもたらされたペルシャの医術やインドのススルタ医術の情報が大きく影響していた可能性は十分にある。

麻酔薬などにはそうした外来の薬物が使われたということになる。

特に面白いのは、華佗の生理観、病理観としてあるのは「人間は加齢とともに体内に疾穢が溜まってくる」というものである。

この疾穢の蓄積が疾病の原因になるということである。

疾穢とは何なのか分からないし、華佗伝にだけ出てくる語彙である。


『三国志』華佗伝や『後漢書』方術伝には、彼の行った数々の治療や診断の例が記録されているのだが、その症例のいくつかをウ ィキペディアから引用する。

1・陳登を診察した際、陳登の好物だった膾から感染した寄生虫が胃に巣くっていると診断した。治療として煎じ薬を2升作って半分ずつ飲ませ、寄生虫を吐き出させた。華佗は3年後に再発すると言い、果たしてその通りになったが、その時華佗やそれに代わる医者がおらず、陳登は死んでしまった。

2・曹操の武将李通の妻が重病になったとき華佗は、以前流産した際の胎児が残っているためと診断した。李通は胎児はもう降りたと言ったが、華佗は胎児は双子で、一人が残っているのが病因と診断した。果たしてその通りミイラのように石灰化した胎児が体内から取り出された。

3・県の役人の尹正が、手足が熱っぽく、口の中が乾いて、人の声を聞くと苛立ち、小便が通じないという症状に悩まされていた。華佗は熱いものを食べ、汗が出れば平癒するが、出なければ3日で泣きながら絶命すると診断した。尹正は熱いものを食べたが汗は出ず、果たして診断通りの死に方をした。

4・軍の役人の李成が咳に苦しんで、時に血膿を吐いていた。診察した華佗は病原は肺ではなく腸炎と診断し、さらに18年後にちょっとした再発があるからと、その分も合わせて粉薬を出した。その5・6年後、李成の親類に同じ症状になった者がいたので、李成の親類は後で華佗から貰って来るからと李成に頼み、予備の薬を融通してもらった。親類は治癒すると、約束通り華佗のいるに向かったが、丁度華佗が曹操に捕縛され、薬は手に入らなかった。薬のない李成は、華佗の診察を受けた18年後に病が再発して死んでしまった。

5・重病に苦しむある郡守の様子を診たところ、激怒させるのが最も効果的な治療法だと診断する。そして華佗は高額の薬代を貰いながらも治療を行わず、ついには郡守の悪口を書いた手紙を残し去って行った。これに激怒した郡守が数升の血を吐いたところ、すっかり病気は治ってしまった。

6・東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらず次第に衰弱していった。父親が心配して方々手を尽くしたが子供の病状が良くならいことで、名医として名の聞こえた華佗のもとに遠路訪ねてきた。 華佗は一通り子供の病状と経過を聞くと、父親に向かって次のように説明した。「その子の母親は次の子をすでに妊娠しているはずだ。そのため母乳中に本来含まれるはずの母親の陽の気が体内の胎児を養うためにほとんど吸収されてしまい、その母乳は子供を養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっているのだ。だからその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲み続ける限り、この下痢の症状は回復しないだろう」と伝えた。



上記の2の症例のように胎児の遺体が石灰化してしまうことは「石児」または「石胎」と呼ばれるもので、非常に珍しい症例であるが、これはときどきニュースとして紹介されることがある。

「91歳女性の子宮に石灰化した胎児」のニュース
チリ西部の小さな町で、91歳の女性の子宮の中から石灰化した胎児が見つかった。女性は60年以上前の妊娠に気づいていなかったという。


http://www.cnn.co.jp/video/14724.html
2015.08.05 Wed posted at 11:27 JST

母親の体内に36年間、胎児の骨格を摘出 インド
http://www.afpbb.com/articles/-/3024138

82歳老婆の腹に“石灰化した40歳の胎児”が発見される ― 人体の驚異「石児・石胎」とは?
http://tocana.jp/2013/12/post_3376_entry.html



その他にも華佗は小児病や食中毒についても巧みな治療を施している。

驚くべきことに華佗は、脳外科手術を曹操に提案したとされる。

物語の
『三国志演義』では、頭痛やめまいの持病に苦しんでいた曹操に召し出されたとき、華佗は曹操の病根は頭にあるため鍼や薬の治療は効かないと診断し、「まず麻肺湯を飲み、その後に斧をもって脳を切り開き、風涎を取り出して根を除きます」と治療法を告げた。

これに曹操は驚愕する。
お前はわしを殺す気か!」と激怒する曹操に対し、華佗は関羽が毒矢が刺さった肘の骨を削られても少しも動じなかった事を引合いに出して、是が非でも外科手術を受けるように説得する。

しかし曹操は、「脳を切り開く治療法などこれまで聞いたことがない。お前は関羽と親しかったから、治療にかこつけ俺を殺して関羽の仇を討つつもりであろう」とさらに激高すると、そのまま華佗を投獄して拷問にかけた末に殺してしまった。


この部分は物語の創作なので事実かどうかの確認はとれないが、華佗の医術がそれほどに革新的で神妙であったということである。

曹操は名医華佗を侍医として手元に置きたがったのだが、華佗は曹操の下で拘束されるのを嫌って、妻が病気であると偽って自分の家に帰宅してしまった。

このことが曹操の逆鱗に触れて、投獄されついには殺されたのだともいう。

華佗は牢獄内で、多くの人命を病から救うことが出来るとして彼の外科手術の術式などを記した医書を書き上げ、それを牢番の役人に託そうとしたが、牢番は禍が及ぶことを恐れてその医書を受け取ろうとしなかった。

華佗は落胆してその医書を自らの手で焼却したと伝にある。


実は数十年前に華佗の医術や鍼灸について調べたことがあって、「鍼灸師からみた華佗の医術」という論考を東洋医学関係の専門誌に発表したことがあった。


奇しくもこれが後に、中国の医学雑誌に翻訳されて採録された。

どうやら拙論が本場中国でそれなりに評価されたらしい。











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2016年10月30日

狐につままれたような話を伺う?!

これも準静電界なの?

痛みの治療をやっていると時たま不思議な症状を訴える方が訪れることがある。

ある日、とても不思議な方がみえた。

その方もあちこち医療機関で治療を受けられていたのであるが、まったく症状が改善しないままだと言われる。

その方は身体障害者であって、両足が不自由であるので付き添いの介護者と一緒に車椅子で来院されたのであった。

症状を詳しく伺うと、やはり通常の痛みの症状とは随分と変わっていると言わざるを得なかった。

不自由な両足がびりびりと電気が走る様な感じで、常に強い痛みがあるといわれる。

しかもここ何日かは、持続的な痛みがあって睡眠も思うように摂れない状態だといわれる。

十数年前、高所からの墜落事故で骨盤や腰椎、下腿骨を骨折損傷されたということで起立歩行が出来ないとのことであった。

腰部には、事故時に手術処置した時の金属性の固定具がいまだに入っているともいわれる。

今回の検査では、そうした固定部分にも何ら異常はなかったということであった。

結局のところ、今回の痛みの原因がはっきりせずに本人は憔悴した表情であった。

このようなケースは決して珍しくはないのだが、そうかといってこうした症状の痛みに頻繁に遭遇するというわけでもない。

「先生、この痛みをどうにかしてください」といきなりいわれても、これは大変である。

「このような痛みが出る前に、何か無理な作業とかされませんでしたか?」

車椅子での生活だけに活発に体動き回ることはないと思われるが、どこかに本人も気づかれていない生活上の動きの中に原因になるものがあるはずである。

「特別無理なことはしていませんが、先日ある会合に出たことがあります」

「会合ですか?」

「ええ、ある宗教団体の例会みたいなのに誘われたのですが、そのとき少しおかしなことがありました」

「おかしなことといいますと?」

「ええ、その会合にどこかの牧師さんが来賓で来ていて説教というか、話しながら時々ピアノをババーンと鳴らすんですが、どうしたことか、そのピアノの鍵盤が叩かれる度にその音が私の足全体に響いてとてもビリビリしました」

「いつもそのような感じがあるのですか?」

「いえ、そのときが始めてでした」

「いわゆる一種の宗教的なイニシエーションを受けられたわけですね」

「そうだと思います」

「それ以降何かいままでとは違った変化が足にありませんでしたか?」

そう尋ねると意外な答えが返ってきた。

「あります。それ以降なんですが、自宅近くにある祈祷所の前を車で通るとそのとき何故だか足に電気が走るみたいにビリビリします」

「そのビリビリというのは、イニシエーションのとき感じたものと同じような感覚ですか?」

「同じです」

「祈祷所以外でもその感覚が感じられるときはありますか?」

「○○町の通りとか、国道○○号線の○○の前を通過するとき必ず足がビリビリします」

「でしたら、市内の○○町の○○辺りとか、○○町の○○隣の○○場はどうですか?」

「えっ、先生分かりますか?そこもいつも感じます。先生、私の足がその場所でビリビリするって何故分かるんですか?」

ここまで話してくると、いよいよ本人は不思議そうな顔をされる。

「○○県との県境の道路を車で通ると必ず足がビリビリしますが、それなんかもみな同じ原因ですか?」と、聞いてこられる。

「通常の感覚でいうと、視覚では捉えられないものに影響されているということです」

「車の中で目をつぶっていてもその場所に来ると足がびりびりするから、いまその場所を通過しているのだということが自分には分かります。これは何かの祟りですか?」

「祟りなんかじゃありませんよ。その場の環境波動とでもいったらいいか、地場、土地がもっている一種の電磁波ですね」

「電磁波ですか?」

「その場の雰囲気という表現がありますよね。明るい雰囲気、暗い雰囲気、楽しげな雰囲気、険悪な雰囲気とか。こうした雰囲気というのは言葉の上だけでなくて、実際にその場所の波動がそれぞれ微妙に違っています。人間には通常意識されてはいないのですが、そうした変化を敏感に感じ取るセンサーが無意識に働く場合があるわけです」

「私の足がそのセンサーというわけですか?」

「そうですね、周囲の波動環境に敏感に反応しているということになりますね。その場の殺気を足が感じ取っているのかもしれない。おそらくきっかけは最初のイニシエーションを受けられたときに、その波動に両足部分が強く共振し励起されたのだと思いますよ」

「どうしたら解消するのでしょうか?」

 

結局、この方の足がビリビリする土地や施設は、本人にとって波動環境が好ましくない居心地の悪い場所ということになる。

しかも足に鋭敏に反応が出る土地や場所というのは、過去において何らかの共通する痕跡があるということでもある。

それが何かということである。

話を伺っていくと次第にそれははっきりしてきた。

まず、足がビリビリ感じられる場所として、祈祷所、墓地、斎場であることがわかってきた。

それと処刑場跡。

戦国時代を含めての、古代の戦場跡。

占いに関係する人、その場所。

人が苦しんだであろう特殊な施設。

それらは何らかの強い人の念(波動)が刻み込まれたであろうと思える場所であったが、それに墓地、斎場までもが含まれているというのが意外ではあった。


これらにはどこかで「準静電界」というものが関係しているようだ。

これは非科学的なことではなくて、生体には微弱な生体電流というものが流れていて体表面周囲にも物理的な準静電界が作られている。

体を取り巻く様に準静電界が広がっているから、そこにはある種のセンサー的感覚が伴うということになる。

武道の達人たちは、みなこの特殊な感覚を身に付けるべく日々鍛錬する。

意識しなければ、通常は何も感知しないレベルのものである。

今回の場合は両下肢を損傷されているから、相対的にはその部分の血液の循環には機能的にも変化があったはずである。

あるいはそうした変化から東洋医学的な気のエネルギーの流れや気のキャパシティー自体に変化が及んでいたとも考えられる。

下肢は機能的にも制限されているとなると、それだけ下肢の気のキャパシティーは通常よりも小さくなっている。

そのことで、周囲の波動環境にも必要以上に過敏になってしまったとも考えられる。

相手が波動であるだけに、そこには共振や増幅といった物理的影響があったともいえる。


生憎とこのような話を人にしても、多くの場合狐につままれたような反応しか返ってこない。

見えない世界のことは、所詮認知されにくいのである。

それでも、人間が準静電界というものに包まれて生活していることだけは確かなことなのである。
















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2016年10月16日

人類最初の麻酔手術を実施した華佗の医術とは?

後漢時代に出現した伝説の名医

はるか昔、中国の後漢末期に華佗(か だ、? - 建安13年(208年))という名医がいた。

華佗は、薬学・鍼灸に非凡な才能を発揮した医師であったが、彼がもっとも得意とする医術は外科手術であった。

華佗の外科手術については、歴史書の三国志と後漢書に記録がある。

Guanyu




彼は鍼灸や投薬で治せない病の患者の場合は、麻沸散とよばれる麻酔薬を酒とともに投与して患者の意識を失わせたあと、腹部を切り開いて患部を切除し、さらに腹腔を洗浄し切開部を縫合したのちに薬草の軟膏を塗って傷口の治癒を促したとされる。

歴史上最初の麻酔外科手術ということになるが、華佗の外科手術の術式などの情報は彼が曹操によって殺害されたことですべて絶えてしまった。

『三国志』華佗伝や『後漢書』方術伝には、彼の行った数々の治療や診断の例が記録されているのだが、その症例のいくつかをウ ィキペディアから引用する。

1・陳登を診察した際、陳登の好物だった膾から感染した寄生虫が胃に巣くっていると診断した。治療として煎じ薬を2升作って半分ずつ飲ませ、寄生虫を吐き出させた。華佗は3年後に再発すると言い、果たしてその通りになったが、その時華佗やそれに代わる医者がおらず、陳登は死んでしまった。

2・曹操の武将李通の妻が重病になったとき華佗は、以前流産した際の胎児が残っているためと診断した。李通は胎児はもう降りたと言ったが、華佗は胎児は双子で、一人が残っているのが病因と診断し、果たしてその通りミイラのように石灰化した胎児が体内から取り出された。

3・県の役人の尹正が、手足が熱っぽく、口の中が乾いて、人の声を聞くと苛立ち、小便が通じない、という症状に悩まされていた。華佗は熱いものを食べ、汗が出れば平癒するが、出なければ3日で泣きながら絶命すると診断した。尹正は熱いものを食べたが汗は出ず、果たして診断通りの死に方をした。

4・軍の役人の李成が咳に苦しんで、時に血膿を吐いていた。診察した華佗は病原は肺ではなく腸炎と診断し、さらに18年後にちょっとした再発があるからと、その分も合わせて粉薬を出した。その5・6年後、李成の親類に同じ症状になった者がいたので、李成の親類は後で華佗から貰って来るからと李成に頼み、予備の薬を融通してもらった。親類は治癒すると、約束通り華佗のいるに向かったが、丁度華佗が曹操に捕縛され、薬は手に入らなかった。薬のない李成は、華佗の診察を受けた18年後に病が再発して死んでしまった。

5・重病に苦しむある郡守の様子を診たところ、激怒させるのが最も効果的な治療法だと診断する。そして華佗は高額の薬代を貰いながらも治療を行わず、ついには郡守の悪口を書いた手紙を残し去って行った。これに激怒した郡守が数升の血を吐いたところ、すっかり病気は治ってしまった。


2の症例のように胎児の遺体が石灰化してしまうことは「石児」または「石胎」と呼ばれるもので、非常に珍しい症例であるが、これはときどきニュースとして紹介されることがある。

91歳女性の子宮に石灰化した胎児
チリ西部の小さな町で、91歳の女性の子宮の中から石灰化した胎児が見つかった。女性は60年以上前の妊娠に気づいていなかったという


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母親の体内に36年間、胎児の骨格を摘出 インド
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その他にも華佗は小児病や食中毒についても巧みな治療を施している。

驚くべきことに華佗は、脳外科手術を曹操に提案したとされる。

物語の
『三国志演義』では、頭痛やめまいの持病に苦しんでいた曹操に召し出されたとき、華佗は曹操の病根は頭にあるため鍼や薬の治療は効かないと診断し、「まず麻肺湯を飲み、その後に斧をもって脳を切り開き、風涎を取り出して根を除きます」と治療法を告げた。

これに曹操は驚愕する。
「お前はわしを殺す気か!」と激怒する曹操に対し、華佗は関羽が毒矢が刺さった肘の骨を削られても少しも動じなかった事を引合いに出して説得する。

しかし曹操は、「脳を切り開く治療法などこれまで聞いたことがない。お前は関羽と親しかったから、治療にかこつけ俺を殺して関羽の仇を討つつもりであろう」とさらに激高すると、そのまま華佗を投獄して拷問にかけた末に殺してしまった。


この部分は物語の創作なので事実かどうかの確認はとれないが、華佗の医術がそれほどに革新的で神妙であったということである。


実は数十年前に華佗の医術や鍼灸について調べたことがあって、「鍼灸師からみた華佗の医術」という論考を東洋医学関係の専門誌に発表したことがあった。


奇しくもこれが後に、中国の医学雑誌に翻訳されて採録された。

どうやら拙論が本場中国でそれなりに評価されたらしい。






















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2016年05月07日

芍薬も牡丹も古くは薬用植物として栽培されていました

立てば芍薬、


いまの時期は綺麗な芍薬の花が花壇に咲いています。

芍薬は、ボタン科ボタン属の植物で、冬になると地上部が枯れてしまう多年草です。

日本ではヤマシャクヤクとベニバナヤマシャクヤクの2種が分布していますが、現在栽培される芍薬のもととなったものは、牡丹同様平安時代に中国から渡来したものとされています。

芍薬も牡丹も古くはもっぱら薬用植物として栽培されていましたが、江戸時代になると次第に観賞用として改良されるようになりました。

貴重な生薬として育てられていた植物が、現代ではすっかり観賞用に変貌してしまったことになります。

時代とともに物の見方、価値観がすっかり変わってしまったのです。




RIMG2947




















花弁が大きいです。







RIMG2948






















素人目には、芍薬は牡丹やバラの花とも似ています。


すぐに判別できない時があります。





RIMG2949





















やはりバラの花びらにも似ています。

西洋芍薬というのもあります。





RIMG2950























RIMG2952




















さらには芍薬と牡丹との交配種というのもあります。

このオリエンタルゴールドは特に人気があるようです。





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これはシャクナゲの花です。






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2016年03月26日

精力絶倫が悪いわけではないと、言い訳してみる

精力絶倫が悪いわけではない

「精力」という言葉があるが、これは如何にも東洋医学的意味相が強い。

さらに武道の世界では「精力善用」という、己の行動哲学ともいうべき明確な教えがある。

精力を発散するにも心して善用しなければ、欲望のままではそれこそあらぬ方向に突っ走ってしまうことになる。

その結果、身を損じ、大恥をかき、世間を騒がせ顔向けできぬ事態をも招きかねないわけだ。

ならば、いったいその精力の実体とは何なのか?

「精力善用」とて、根底には東洋的な思想としての節度ある君子の道が示されているわけであるが、それはむしろ表面的な事象に過ぎないのだ。

というのは健康面でみたときの相対的な体力というか、それこそ全体的観点から評価される精神的肉体的活力を指しているからである。

さらにそのなかには当然のことであるが、性的能力に繋がる意味も含まれていることを忘れてはならない。


今回は固い話をより固くして、私見を述べてみたいと思う。

2千年以上前の古代中国では正統な医学と隣合わせに房中術(玄・素の術)が幅を効かせていた。

これなどは、部分ではなしにト−タルな身体論で人間の生理を認識し、その上で集約された方術理論を展開していくという、いかにも東洋的発想が全編に横溢して非常に興味深いものである。

これは東洋独自の考え方である。

しかもそのベ−スとなる古代中国の陰陽五行説や随所に混在する医学知識のその多くが、 古代の内経医学からの借り物か、こじつけである事実も見逃せないのである。

具体的に言うと、この陰陽五行説にしても房中術に必ず出てくる「七損八益 」にしても、これらは『黄帝内経素問』の「陰陽応象大論」を下敷きにしているわけである。

いうまでもなく「陰陽応象大論」では人体と天地自然の陰陽理論を展開し、 その調和のもとに人間自身ができるだけ陽気を温存し、天寿を全うしていくことを教えているものである。

ところが房中術はその背後にある神仙思想にからめて、ここから飛躍した理論を持ち出してくる。

人体の陽気を養い、堅持して天寿を全うするという中国医学の根幹になる内経医学の理念に対してあらゆる病が自ら癒え、しかもその術を極めることにより、不老不死の道が開ける秘伝の養生法があるというわけである。

もともと房中術というのは神仙思想から出てきたものであって、医術とは似て非なるものであるが、ここのところの発想が実に紛らわしいのである。

そこに伝説上の有名な黄帝や神仙の彭祖を引き出してくるところがまた面白い。

彭祖は一夜に四十八人の女を御したとか、四十九人の妻を持ったとか言われる神仙であり、黄帝などは房中術を極め一千二百人の女を御して白日昇天し、仙人の列に入ったというのであるが、これらに続けとばかり理論展開するわけである。(1万2千人なら、仙人の列に十分に入れるはず)

『漢書芸文志』では方技類を整理して、医経・経方・房中・神僊の四種に分 けているが、房中術は保健養生術の類として扱われている。

というのは、この『芸文志 』の解説部分に次のようにあるからである。

「房中、情性の極にして、至道の際なり。是を以て聖王外の楽みを制して、 以て内の情を禁じ、而してこれが節文を為す。伝に曰く、「先王の楽みを作すは、百事 を節する所以なり」と。楽んでは、節有れば、即ち和平寿考なり。迷者顧みざるに及んでは、以て疾を生じて性命を隕す。」

ここが房中術の最も面白いところである。

日本で編纂された医学全書『医心方』房内にあるように房中術を正しく行なわなければ「夭折の慚有り」、そして正しく「陰陽の術を得ば、即ち不死の道なり」というのである。

しかも伝統的な医学の存在する一方で、このような神仙思想が信じられていたというところがまた愉快でもある。

事実古代中国の王侯貴族たちは、医師とは別にこうした房中術の専門家(方 術士)を側に置いて指導を受けていた。

私がここで最も関心を持つのはやはり医術との関わりである。

たとえば精力減退、 性的不能という症候を一例にとってみよう。

現代的にインポテンツ(ED: Erectile Dysfunction; ED)の一語で片付けられてしまうといかにも部分的機能 低下、失調に聞こえるが、この場合などはむしろ東洋医学的に、房労(房事過多)によって腎水を渇かし腎虚、房労傷、房室損傷となり、その結果としての性的不能と言った方が辻褄が合うように思う。

『医心方』房内に、「玉房秘決に云う。冲和子曰く、夫れ情を極め欲をほしいままにすれば、必ず損傷の病あり。斯れすなわち交験の著明しきものなり」とある。

だから「夭折の慚有り」なのであるが、房中術の中ではこのように房労の認識が極めて明確なのは注目すべき特徴である。

この影響で唐の時代になると、かえって『諸病源候論』などの医学書では虚労損傷(腎気衰弱,腎気虚損,腎虚)がことさら重要視されている。

「腎は精を蔵す。今腎虚し精を制すること能はず」、「腎気虚損。精を蔵すること能はず」と、『諸病源候論』虚労病諸候の下にあり、そこには多くの病症が書かれている。

『備急千金要方』を著した孫思貌にしても、養生の中で積極的に房中術を取り上げて解説をしているところをみると、彼なりに相当な認識があったと考えられる。

こうした流れは丹波康頼の『医心方』に受け継がれ、さらに後世の朝鮮医学の集大成であるところの『東医宝鑑』にも少なからず影響を与えている。

この許浚(ホジュン)の『東医宝鑑』内景篇では「精は人身の至宝なり」といい、さらに 雑病篇・虚労でも男子の病はまず房労を疑えと教えていることでも分かる。

精こそが生命エネルギーの源泉であるとの見方である。

また許浚の記述によると、精の質量自体は身体中に通常一升六合あるとされ、この精の蔵制が極度に充満すれば成人の場合3升ぐらいにまでなるという。

3升もあるというのは、結局体内の血液成分ということなのだろうか?

そうなると結局精力そのものは相対的な数量認識が可能ということになってくる。

ここに精力の相対量に自ずと個人差が生じる理由があるとされ、同時に養生の必要性が出てくると いうことになる。

それは精力の温存ということであり、相対的比較でいうならばいわゆる精力絶倫ということになる。

巷で言うところの精力絶倫とは一体どういうものなのか?

そこでこの精力の個人差について具体的に資料を上げてみようと思う。

とはいっても、こうしたものに関して科学的、また医学的なデ−タの存在を残念ながら私は知らない。

どうやらこうした身体機能を総合的に評価統合していく見方は、現代医科学には得てして馴染まないようである。


ただ、いままで書物の中で散見した歴史的記録として明記されているものをここではいくつか記憶のままに上げられるだけである。

たとえばフランス文学で有名なヴィクトル・ユゴ−は精力絶倫ということでも知られていた。

彼自身の告白によると、新婚の夜彼は新妻を九回愛撫したという。(『ヴィ クトル・ユゴ−の生涯』アンドレ・モロウ,『新編・フランス文壇史』河盛好蔵)

また歴史書『チェ−ザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』(塩野七生著)の記述 によると、チェ−ザレはフランス国王ルイ十二世によって初夜の絶倫ぶりを証言されている。

そこには次のように書かれている。 「ヴァレンティ−ノ公爵(チェ−ザレ)は、私の時よりも、四本も多く槍を 折った。二回と、夜食を取った後、さらに六回もである。」とある。

十六世紀のイタリアのプラント−ムの作品として知られる『艶婦伝』による と、かってロ−マ人が一夜に十二回という最多記録を残していることが書かれてあった。

この書物は以前は新潮文庫の外国文学に含まれていたが、残念なことに現在絶版になっている。

十八世紀ロココの時代に活躍したカサノバの実録回顧録によると十回という記録がある。

『カサノバ回顧録』も以前はしっかりした全集が出でいたが、現在はこれまた絶版となっている。

日本でもこの種の有名な記録はいくつかあって、古いところでは『日本書紀 雄略天皇元年三月是月条』 に「七度」云々という具体的記述があったように記憶する。

近代では小林一茶の日記、さらに戦後の文献ではディック・ミネの『すりこぎ随筆』(光文社刊)等で確認できる。      




















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2015年07月29日

甲州弁で読み解く名医伝

特設・甲州弁バージョン

あるとき一人の老人が通り雨にあい人家の軒下で雨宿りしていると、その傾きかけただだくさな家の中から女のすすり泣く声が聞こえてきよーた。

覗いてみると、母親が子供の枕元でうずくまるようにして泣いているではねぇきゃ。
老人は思わず声を掛けやーた。 

外からの突然の声に女は驚いて泣きはらした顔を上げやーた。

老人は静かに語りかけやーた。
優しそうな老人の言葉に、母親は気を許して事の次第を話はじめやーた。

 母親の話によると、子供の病状が一昨日より急に悪くなり、診てもらった医者はみゃあ手の施しょうがねぇと言って帰ってしまったという。

子供の意識は無く命はいくばくもねぇ様子で、みゃあ死を待つた〜けりだと言って母親は泣き崩れやーた。

 老人は気の毒に思い、自分は医術の心得がある、このまま見過ごすにはどうしても心残りだで、自分に子供の脈をとらせてはもらえまいかと言う。

 老人は一通り子の脈を診ると、母親に父親の所在を尋ねやーた。
この子の父親は既に亡く、いままで母一人子一人で暮らしてきたという。

 老人はその答えに頷くと次のように言ったがゃ。

「やはりこの子の命は絶えそうであゃあ。そもそもの原因はこの子が母親の陰の気だけを受けて育てえる、父親の陽の気に包まれなかったことによゃあ。そのため体内の陰陽の調和がとれのうなったのだ。一刻の猶予もねぇ」

 そこで老人は母親に起死回生の妙法を教えやーた。

母親は、子供の命が助かるかもしれねぇと知って、老人の言うとおりに村中にある若衆宿へ直ちに掛けていったがゃ。 

そこでは、元気盛りの若者が幾人も泊り込んで共同生活しており、そう広くもない部屋の中は若者たちの熱気で溢れかえっていやーた。

 母親はその部屋に駆け込むと、若者たちが遊んでいた将棋の駒をひったくるようにして掴み取ると、すぐさま家にとって返しやーた。

 その将棋の駒を土瓶で煎じて子供に飲ませたところ、生死を彷徨っていた子供は奇蹟的回復をみたのであったがゃ。──

 ここに登場こく老人こそ、朝鮮医学の集大成ともいうべき医学書『東医宝鑑』を17世紀初頭に編纂した名医許俊(ホジュン)その人であったがゃ。

許俊という人物は家庭的には決して恵まれた環境で育った〜けではなかったがゃ。

 いわゆる妾腹の子であり、苦学して医を志したのであゃあ。逸話にもそうした許俊自身の幼少時の境涯が反映されているのかも知れねぇ。

 なんだた〜けた〜けしい、荒唐無稽の作り話ではねぇかと思われる向きもあろう。
実はこれによく似た名医の話が、後漢時代に活躍した華佗の伝の中にもあるのだ。

 東陽県の陳叔山の一歳の男の子が下痢が止まらのうなり、次第に衰弱していったことがあったがゃ。
方々手を尽くしたがどうしても病状が良くならねぇので父親が心配して、名医とし名の聞こえた華佗のもとを遠路訪ねてきよーた。
kada.jpg

 華佗は一通り病状と経過を聞くと、父親に向かって詳しく説明し始めやーた。
「その子の母親は次の子をすでに妊娠しているはずだ。そのために母乳中に本来含まれているはずの母親の陽の気が、おなかの胎児を養うのに多くが吸収されてしまい、その母乳は子供を養うには不十分な冷たい陰の気に偏ってしまっているのだ。

だでその子がいまのまま陰の気が充満した冷たい母乳を飲んでいる限り、この病は回復せんだろう」と、明解な病理、病機を示したという。

 中国には「名医、棺を返す」と言うような名言があるらしい。
こりゃ名医というものは死人さえも生き返らせるのだ、といったニュアンスのものかと思うが、扁鵲がそうであろうし、唐時代の孫思邈(五八一〜六八二)の伝にも、これにぴったり当てはまるような話が残されていゃあ。

 孫思邈はある日、往診の帰りに棺を担いでいく行列と遭遇しやーた。
よくみゃーとその棺の底からはぽとぽと血が滴って落ちているではねぇきゃ。不審に思った孫思邈は行列に泣きながら付いていく老婆に、いつ亡くなったのかを尋ねやーた。 

孫思邈が医者であることが分かると、老婆は一人娘が難産で二晩苦しんで出産できずに数時間前に死んでしまったといかん、泣きながらどうか生き返らせてくれと懇願しやーた。

 棺の蓋を開けさせると、中の若い婦人はすでに血の気が退いて顔色は蝋のようであったがゃ。脈をとってみると、かすかに触れてくるではねぇきゃ。

 孫思邈はまだ望みがあると思い、素ちゃっと鍼を取り出し経穴を定めて打ったがゃ。
しばらくこくと妊婦の気が動き、顔に血の気がさし生気が蘇ってきよーた。

 脈が強くなるとともに、産気づき棺の中から「オギャア、オギャア」という産声が聞こえ赤ん坊が生まれたのであゃあ。

この成り行きには、周りの人々も驚き大歓声を上げやーた。
何と名医孫思邈は鍼一本で母子二人の命を救ったのであゃあ。

 このように孫思邈は名医としての誉れ高く、今でも中国では仁術を身をもって示した医者として尊敬を集めていゃあ。



















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    ラベル:甲州弁
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    2015年05月21日

    自然界ではそこらに猛毒が転がっています

    知られざる毒りんごの背景


    随分昔のことであるが、山菜と間違えてトリカブトの葉を味噌汁の具にして一家が中毒死するという事件があった。

    近年にも東京の中華料理店の店主が、送られてきたトリカブト入り「葛餅」を食って中毒死するという事件があったし、保険金目的に妻をトリカブトで毒殺したとか、昨年京都では結婚直後に夫に青酸カリを飲ませていたというような忌まわしい事件もあった。

    青酸毒は人体の呼吸中枢を麻痺させるらしい。

    青酸毒を盛られれば速やかに窒息死することになる。

    自然界の毒物として知られるトリカブトという植物の根は、加工されて「附子」として漢方薬の処方や毒矢にも使われる。

    アルカロイド系(アコニチン)の猛毒が含まれるだけに当然取扱には注意がいるわけである。

    自然界にはこうした猛毒が存在する。

    テレビかなんぞのサスペンス物か推理ドラマを彷彿させる毒殺事件ではあるが、これもテレビドラマの「警部コロンボ」を見ていたら、河豚毒(テトロドトキシン)をワインに混入させている場面があり、これもひそかに毒殺を謀ったものであった。

    自然界にある毒物を使っての殺人は有史以前から随分あったわけで、中国では古来よりもっぱら鴆毒が使われた。

    前漢時代、高祖(前漢の創始者・在位前202‐前195)の妻である呂后が、高祖と威婦人との間にできた趙王を殺すのに鴆毒が使われたという。

    霊帝(在位167‐189)の后である何皇后が、帝の愛妾を鴆毒を使って殺させた。

    鴆毒は中国の歴史書にも度々登場する有名な毒物であるが、日本人にはあまり知られてはいないようだ。

    鴆毒自体は投与されると微量であっても命を落とすのだという。

    通常鴆毒といえば暗殺に使われるわけで、その際には鴆酒として登場する。

    鴆酒の作り方はしごく簡単である。

    これは毒鳥といわれる鴆という鳥の羽を酒に浸して数回掻き回すだけで簡単に出来上がるという。

    これを飲んだ者は、当初黄疸のように体が黄色くなるということからみれば、まず肝機能が冒され、さらに五臓六腑のすべてが爛れて終には死に至るとされる。

    服毒すれば確実に多臓器が機能しなくなる。

    何でも鴆にはそれほどの猛毒があるということで古来から恐れられていた。

    古い記録では『養老律令』(757年(天平宝字元年)に記述があることからみれば、日本にも大陸から持ち込まれた可能性は極めて高いと思われる。

    事例としては『太平記』に、足利直義が恒良親王に鴆毒を薬と偽って飲ませ暗殺したとある。

    おそらく戦国時代まで使われていたであろう形跡がある。


    これだけ有名な毒物であるのだが、この鴆という毒鳥の実態は古代よりその存在が曖昧であったのだ。

    鴆という固有名詞や漢字があるのだから実際に生息していたのであろうが、どんな鳥なのか残念ながら小生は見たことはない。

    中国の『三才図絵』や『本草綱目』あたりにその絵図は紹介されていると思うが、何でも広東省や江西省に生息しているキジ科の鳥で、形は鷹に似ていて首の長さは七〜八寸、くちばしは赤く首は黒いということである。

    肉にも猛毒があるといい、その食性は蛇を好物にしていて、獲物の蛇が石垣の間などに逃げ込むと、それを引き出すのに石垣に糞を引っ掛けて石を砕くという。

    本当にそのような鳥が生息しているのか疑問であろう。

    蛇食い鳥の一種であろうか、そう聞くだけで何とも恐ろしげな怪鳥にみえてくるではないか。

    実は鴆という鳥は中国の古い史書や文献には随所に登場するが、本当に実在していたのか疑問視されてきた毒鳥なのである。



    それまでこの恐ろしい毒鳥は人々に忌み嫌われ、見つかり次第殺されてきたということで、中国大陸では相当早い時期に絶滅したとされていたわけである。

    今でいう絶滅種であり、貴重動物ということになる。

    おいおい、毒鳥が貴重な絶滅種とは何だということになってくる。

    そうなると、いよいよ架空の鳥だろうということになってくる。

    ところが、羽に毒がある鳥は架空の生き物ではなく20世紀末になってニューギニアの森林地帯で偶然発見されのだ。

    それも権威ある科学誌「サイエンス」に大きく取り上げられた(写真参照)。



    tin.jpg




    つまりこうした事例が出てきたことによって、古代中国大陸にこの種の鴆なる毒鳥が実在していたことの信憑性は一気に高まったというわけである。

    歴史上の毒薬として再認識されるに至ったわけである。


    歴史上有名な暗殺目的の毒薬ということでは、「ボルジア家の毒薬」というのが西洋ではことのほか高名である。

    確かそういう題名の西洋映画が随分前にあった。

    チェーザレ・ボルジアが登場し、彼が手にする毒薬は確か「カンタレラ」という名前であった。

    名前から察するに恐らくカンタレルスが含まれているハンミョウという昆虫毒が使われていたか、もしくは猛毒の砒素が主成分だったのかもしれない。

    とにかく、この毒薬が権勢欲の渦巻くルネッサンス時代の暗黒の世界で度々暗殺に使われた。

    自然界の昆虫毒といえばまずハンミョウであるが、これは江戸時代薬種商が薬剤として扱っていて砒石(ヒ素を含む)などと同様に劇薬として販売先をいちいち確認していた。(これらは漢方薬としてもっぱら水腫の治療に使われていた)

    当時、本当にハンミョウの毒などを使って夫の毒殺をたくらむ女房もいたらしく、そうした逸話も残っているし、巷では密かに財産を狙っての毒殺事件も少なくなかったようである。

    一例をあげると、江戸時代に書かれた『道徳塗説』に出てくる話がそれにあてまるようだ。


    下谷の源助店の長助という独り者は、ある日深川八幡の富籤を一枚買った。

    現代の自治宝くじと思ってもらえばいい。これがなんと一等百両に当たった。

    百両がどれほどの価値があったか気になるところであるが、当時1両あれば家族4人が1ヶ月間裕福に暮らせるだけの貨幣価値があった。

    現代で言うなら1両が4,50万円ほどなのかもしれない。

    いや2,30万もあれば田舎なら結構やっていけるかなとなる。

    これが百両であるから、現代なら数千万の貨幣価値は十分あったことになる。

    当時であれば、一般庶民が絶対に目にすることのできない金額である。

    ということで、生まれてはじめて百両もの大金を手にした長助は飛び上がって喜んだ。

    長助は百両のうちまず二十両をしきたりどうり神社に奉納した。

    二日目、六十両を町役の大家に預けて、やっとどうにか落ち着くことができた。

    三日目、残りの二十両を持って出掛け、仲間内の借銭、義理もすませた。そしてこの日浅草まで足をのばして、日ごろ口にしたこともないような御馳走を鱈腹食って長屋に帰ってきた。

    残りの三両を神棚に上げてその晩はぐっすり眠ったのであるが、夜中にいきなり叩き起こされた。

    「百両、そっくり出してもらおうか」と、押し入った三人の賊に長助は短刀を突きつけられたのである。

    実はこれこれしかじか、残りの三両は神棚に、と長助は震えながら答えた。

    たったの三両ときいて賊たちは拍子抜けしたが、土間近くに置かれていた祝い札の付いた上等の角樽が目に入った。

    三両を仲良く山分けしたあとで賊たちは祝杯を上げることにし、その酒を残らず飲み干してしまった。 

    翌朝、大騒ぎになった。

    長助の長屋近くの路上で風体人相のよくない男達が、三人冷たくなって転がっていたからである。

    間もなく長助は助け出された。

    そして肝心の角樽の酒が毒入りであったことも判明した。

    この角樽は源助店の大家からの到来物であった。

    この結果調べが進み、長助から預かった六十両を着服しようとくわだてた大家のたくらみと知れたわけである。

    直ちに大家は補縛され入牢、長助は町内預かりとなったという。



    一般庶民でもこんな具合であったから、大名家や古代の王宮では毒殺を恐れて常時お毒味役が傍に控えていたらしい。

    これもキムタク主演の時代劇があった。

    それでもときには巧妙な方法で毒殺される危険性はあった。
    ローマ皇帝ネロが暗殺した異母兄弟のブリタニクスの場合などがその好例である。



    nero.jpg



    豪華な食事の席でブリタニクスが好きなスープが出された。

    傍に控えていた毒味役の奴隷が試食した後に、その湯気の立つスープ状の飲物をブリタニクスに差し出すと(猫舌の彼は)まだ熱かったので、顔をしかめて再び奴隷の手に戻した。

    この一瞬に素早く毒物が混入されたのである。

    少し間を置いてそのスープ皿はブリタニクスに渡されて、彼はそのまま口にした。

    しばらくしてから、ブリタニクスは食事中にいきなり持病の癲癇発作に紛らわしい倒れ方をしてその場で悶死したという。

    ネロは、素知らぬ顔でそれを傍観していたのである。

    日ごろから用心深く対応している者でも一瞬の隙を衝かれれば、ブリタニクスのようにあっけなく命を落とすことになる。


    フランスのブルボン王朝の祖となったアンリ四世は毒殺を恐れて、いつも自分でセーヌ川に水を汲みに行き自炊で卵をゆでていたという。

    王様が自炊するとは何事か。


    anli4.jpg


    というのはアンリ四世は毒殺未遂事件も含めて生涯に十七回も暗殺の危険にさらされたというから、安易に毒味役を置くなどという悠長なことはしておられなかったのである。

    とにかく身の安全を考えると、まず自分が口にする食べ物の安全性を充分に確かめなくてはならず、細心の注意を払いながら自前で不慣れな調理もやっていたということである。


    こうみてくると、まず食いしん坊やグルメ嗜好の美食家は王座に長く座り続けることは無理というものである。

    権力者は、そうした権力の座にながく居続けることは実に大変なことである。

    あの有名な英雄ナポレオンもセント・ヘレナ島で、最後は毒殺されてあえ無く終わったのである。

    有名なイギリスの科学雑誌『ネイチ ャー』に発表されたところによると、残されていたナポレオンの頭髪には常人の十三倍の砒素が含まれていたことが確認されたということであった。

    だが、20世紀後半になって次々と新説が現れて最近の歴史学者の研究によると、ナポレオン毒殺はそれまでの定説とは異なり政治的なものではなく、意外にもナポレオンの人妻との不倫が背後に絡んでいたという異説も出てきて、ここらは最後まで英雄的?であったというわけだ。──



    napo.jpg



    昔から中国では猛毒の砒素を医療分野で使って、難病の白血病の治療を行っていた。

    これに注目したアメリカの癌センターが砒素をベースにした薬剤を急性前骨髄性白血病に投与したところ非常な好成績を上げたということで、現在米国では白血病の治療薬として承認されている。

    これと繋がるのかどうか分からないが学生時代、症候概論担当の教授(医学博士)から、微量の砒素の投与は小児期の虚弱体質を改善し免疫力を強化する働きがあるということを聞いたことがある。

    やはりトリカブト,ハンミョウ同様、毒も使いようということであろうか。


























    denden














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      ラベル:チン毒
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      2015年04月24日

      頭内爆発音症候群に襲われたらどうする!?

      頭内爆発音で目が覚めるとき



      通常の頭痛などの症状ではなく、床に入ってほんの寝入りばなにいきなり「ドカン!」という大きな爆発音が耳の側でして、そのまま慌てて飛び起きたものの、周囲では何も起こっていなかったというような経験をされたことはないだろうか。

      頭の中でいきなり大きな爆発音がする、そんな経験があるとしたらそれは「頭内爆発音症候群(exploding head syndrome)」といわれるものである。

      head syndromeといわれるということは、当然何らかの身体異常であろうと思われる。

      電磁波過敏症と関連があるのかもしれないが、日本では一般に注目されるような傷病ではないようだ。


      多くの場合、睡眠中の爆発音はほんの一瞬であり、それも1回のみである。

      一晩に何度も連続的に繰り返し発生することはないようだ。


      それでも頭内爆発音症候群自体は寝入りばなに発生するので、眠りそのものを妨げられることになる。

      これが頻繁に起これば、大抵の場合何かの病気ではないかと本人は不安に襲われるわけで、そのまま症状が解消できなないとなると精神的なダメージまで引き出しかねない。

      欧米の統計によると頭内爆発音症候群は高齢者はもとより、若い人も含めた人口全体の10〜20%が経験しているとされる。

      5人に1人は、これを経験する可能性があることになる。


      実は「頭内爆発音症候群」は私も何度か経験がある。

      睡眠が中断される不快感はもちろん、この直後には心臓も何だかバクバクする感じである。


      これに何らかの薬物が効くのかどうかは分からない。

      ただ「頭内爆発音症候群」については、東洋医学でも以前から知られていた症状である。

      鍼灸分野では通常は睡眠に関係があるということで、こうした症状であれば肝経や心経の経絡に異常があると判断されることが多いであろう。



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      そこで肝の経絡上の経穴を選んで治療するところであるが、実際にはそれではほとんど効果が現れない。


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      経験的にいえば、この「頭内爆発音症候群」の治療の決め手は、脾経の経穴を治療点にすると不快な症状が解消する。

      おそらくこの「頭内爆発音症候群」に対して素早く対処できるのは鍼灸治療だと思う。


















      denden














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        2015年01月14日

        樹木医は昔から日本にはいました

        いまは昔、不思議な打鍼にまつわる話し


        中国から伝わった鍼(はり)の治療法は、日本でも独自の治療法として発展をしていた。

        それが特殊な打鍼法というものであった。

        鍼を経穴(つぼ)にあてて、それを小さな小槌状の器具で叩いて刺激を与えるものであった。

        そうした術式がひろく知られるようになったのは、いまより800年ほど以前のことであった。

        現在ではそうした古い術式はほとんど使われなってきている。

        その打鍼を使っての治療で当時の名医として知られていたのは、京の御園夢分斉やその後につづく御園無分・意斉父子が特に有名であった。

        御園夢分がいて、さらに御園無分がいるところが何やら混同しやすい。

        御園無分の子が意斉である。

        それに御園意斉は園夢分斉の弟子でもあった。

        ミソノとムブンが錯綜して、ここらの関係はどうでもよいという感じになる。

        同姓であるが血縁関係があったのかどうかはっきり分からない。

        兄弟、叔父甥でもないらしいところから、どうも先代の弟子であった者が養子になったのではないかとも思う。

        そこまで憶測を交えてまでして考える必要はないのだが。


        御園夢分斉が腹部打鍼術の祖といわれるが、打鍼術そのものは多田二郎為貞が大陸から伝播していた従来の撚鍼にかわって創案した術式であった。

        多田二郎為貞は大膳亮為綱の子であり、摂津国の三分の一を領し、しかも鍼術で以て知られていた武人でもあった。

        今回は少し内容に凝って、この多田二郎為貞の逸話を時代小説風に紹介してみようと思う。




        花園天皇(一二九七〜一三四八)の御代、天皇愛玩の牡丹が枯死しそうになり大いに憂い、このとき鍼術で京にまでその名が聞こえていた為貞を宮中に召されることになったのである。

        そうとは知らない為貞は直ちに宮廷に参内するようにとの勅使の報せに驚いた。

        もしや侍医への招聘か、いや何にもまして玉体に鍼を立てるなどおそれおおいことである、先例、故実は如何にと期待と不安で家中が騒然となった。

        とにかく為貞は治療のための鍼道具一式を携えて宮中に上がったのであるが、結局花園天皇愛玩の牡丹の花が彼の治療を待っていたというわけであった。

        為貞はすっかり拍子抜けした。

        ・・・・・・それがしは人体の治療はいささか心得ておりますが、草木の手当てとは笑止千万と、内心言葉にして叫びたかった。

        鍼医術に対する気概と決死の覚悟で家を出てきた為貞の気負いはそれこそ尋常ではなかったのである。

        しかし事は勅命である。

        いかな下命でも受けるしかなかったのである。

        為貞は謹んで勅命を奉じた。

        そのまま牡丹園に案内され、萎れかかった牡丹を見せられた。

        もちろん為貞も牡丹は見知っている。

        原産地の中国でも花王と称せられていただけに、近頃京の都でも高貴な人々にことのほか愛でられている灌木である。

        牡丹を目の前にしても、為貞に特別の手立てがあるわけではなかった。

        為貞はそのまま牡丹の前に端座して、天空を見上げた。

        天気はことのほか晴朗、小鳥の飛び交う様子が陽光に映えていた。

        耳を澄ますと甍の上で雀の囀るのが微かに聞こえる。
        為貞には頭の冠を吹き抜けていくときの風のかさついた音さえも聞こえてくるようであった。

        両目を閉じるとやはり先程の微かな音が伝わってくる。音のする方向を思わず目を開いて見ると、どうしたことか例の牡丹の木があった。pict0106.jpg


        一瞬、為貞の心中に閃くものがあった。

        そのまま上体を前に倒して地に両手を付き、頓首して伏すような姿勢をとった。

        彼には、そのとき確かに聞こえたのである。

        キリキリ、コリコリという何かがかすかに物を食む音が、確かに牡丹の株の近くから伝わってきたのである。

        ・・・・・・そうかこの牡丹は害虫に冒されているのか。
        おお、ここにこのように粉をふいているではないか。株の芯を幼虫に食われているから、このように勢いがないのだ。

        為貞は納得するとおもむろに鍼の道具を取り出してひろげた。

        そこには昨夜、弟子とともに丹念に磨き上げ用意した鍼と小槌が並んでいた。

        静かに聞耳をたてて、虫の巣くっている部位の見当をつけた。

        枝に振動を与えると虫は食むのをすぐに止めてしまう。

        確実にその位置を外から見定めるまでは細心の注意がいるのだ。

        為貞は牡丹の株の一点におもむろに鍼を立てた。
        ここと見定めた以上、躊躇することはなかった。

        小槌で鍼頭をタッタットン、タッタットンと打鍼法の手法で徐々に刺入していく。

        もう虫はこの音と振動で縮こまり、すっかり動きが止まってしまっているはずだ。

        手に伝わる響きがわずかに変わった。

        牡丹の柔らかい髄の近くに至ったのだ。
        為貞は撚鍼法に手法を変えて、さらに注意深く鍼を進めた。

        ほんの一瞬であった。
        熟し切った果実を鍼先で触れたような感覚に、間髪をいれず一気に鍼を刺し貫いた。

        日ならずして、その牡丹の勢いが回復した。

        葉の色もよくなり以前に倍して成長が目に見えて良くなったのである。
        そして牡丹の季節になると格別見事な大輪の花を付けた。

        天皇はこれをことのほか喜ばれ、為貞に御園の姓と牡丹に獅子の紋章を下賜されたのであった。

        よってこの多田二郎為貞が名実とともに、この打鍼術の祖となったわけである。

        代々その子孫は御園の姓を名のった。

















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          2014年05月02日

          樹木医の歴史はとても古いものがあります


          打鍼にまつわる話し


          中国から伝わった鍼(はり)の治療法は日本でも独自の発展をしていた。
          それが打鍼法というものであった。
          鍼を経穴(つぼ)にあてて、それを小さな小槌状の器具で叩いて刺激を与えるものであった。

          そうした術式がひろく知られるようになったのは、いまより800年ほど以前のことであった。

          その打鍼を使っての治療で当時の名医として知られていたのは、京の御園夢分斉やその後につづく御園無分・意斉父子が特に有名であった。御園夢分がいて御園無分がいるところが何やら混同しやすい。

          御園無分の子が意斉である。それに御園意斉は園夢分斉の弟子でもあった。
          ミソノとムブンが錯綜して、ここらの関係はどうでもよいという感じになる。

          同姓であるが血縁関係があったのかどうかはっきり分からない。
          兄弟、叔父甥でもないらしいところから、どうも先代の弟子であったものが養子になったのではないかとも思う。そこまで考える必要はないのだが。

          御園夢分斉が腹部打鍼術の祖といわれるが、打鍼術そのものは多田二郎為貞が大陸から伝播していた従来の撚鍼にかわって創案した手法であった。
          多田二郎為貞は大膳亮為綱の子であり、摂津国の三分の一を領し、しかも鍼術で以て知られていた人物である。

          今回は少し内容に凝って、この多田二郎為貞の逸話を時代小説風に紹介してみようと思う。

          花園天皇(一二九七〜一三四八)の御代、天皇愛玩の牡丹が枯死しそうになり大いに憂い、このとき鍼術で京にまでその名が聞こえていた為貞を宮中に召されることになったのである。

          そうとは知らない為貞は直ちに宮廷に参内するようにとの勅使の報せに驚いた。
          もしや侍医への招聘か、いや何にもまして玉体に鍼を立てるなどおそれおおいことである、先例、故実は如何にと期待と不安で家中が騒然となった。

          とにかく為貞は治療のための鍼道具一式を携えて宮中に上がったのであるが、結局花園天皇愛玩の牡丹の花が彼の治療を待っていたというわけであった。
          為貞は拍子抜けした。−−それがしは人体の治療はいささか心得ておりますが、草木の手当てとは笑止千万と、内心言葉にして叫びたかった。

          鍼医術に対する気概と決死の覚悟で家を出てきた為貞の気負いはそれこそ尋常ではなかったのである。
          しかし事は勅命である。いかな下命でも受けるしかなかったのである。

          為貞は謹んで勅命を奉じた。
          そのまま牡丹園に案内され萎れかかった牡丹を見せられた。

          もちろん為貞も牡丹は見知っている。
          原産地の中国でも花王と称せられていただけに、近頃京の都でも高貴な人々にことのほか愛でられている灌木である。
          牡丹を目の前にしても、為貞に特別の手立てがあるわけではなかった。

          為貞はそのまま牡丹の前に端座して、天空を見上げた。天気はことのほか晴朗、小鳥の飛び交う様子が陽光に映えていた。
          耳を澄ますと甍の上で雀の囀るのが微かに聞こえる。為貞には頭の冠を吹き抜けていくときの風のかさついた音さえも聞こえてくるようであった。

          両目を閉じるとやはり先程の微かな音が伝わってくる。音のする方向を思わず目を開いて見ると、どうしたことか例の牡丹の木があった。pict0106.jpg


          一瞬、為貞の心中に閃くものがあった。そのまま上体を前に倒して地に両手を付き、頓首して伏すような姿勢をとった。

          彼には聞こえたのである。キリキリ、コリコリという何かがかすかに物を食む音が、確かに牡丹の株の近くから伝わってきたのである。

          −−そうかこの牡丹は害虫に冒されているのか。おお、ここにこのように粉をふいているではないか。株の芯を幼虫に食われているから、このように勢いがないのだ。
          為貞は納得するとおもむろに鍼の道具を取り出してひろげた。そこには昨夜、弟子とともに丹念に磨き上げ用意した鍼と小槌が並んでいた。

          静かに聞耳をたてて、虫の巣くっている部位の見当をつけた。枝に振動を与えると虫は食むのをすぐに止めてしまう。

          確実にその位置を外から見定めるまでは細心の注意がいるのだ。
          為貞は牡丹の株の一点におもむろに鍼を立てた。ここと見定めた以上、躊躇することはなかった。

          小槌で鍼頭をタッタットン、タッタットンと打鍼法の手法で徐々に刺入していく。もう虫はこの音と振動で縮こまり、すっかり動きが止まってしまっているはずだ。

          手に伝わる響きがわずかに変わった。牡丹の柔らかい髄の近くに至ったのだ。為貞は撚鍼法に手法を変えて、さらに注意深く鍼を進めた。
          ほんの一瞬であった。熟し切った果実を鍼先で触れたような感覚に、間髪をいれず一気に鍼を刺し貫いた。

          日ならずしてその牡丹の勢いが回復した。葉の色もよくなり以前に倍して成長が目に見えて良くなったのである。
          そして牡丹の季節になると格別見事な大輪の花を付けた。

          天皇はこれをことのほか喜ばれ、為貞に御園の姓と牡丹に獅子の紋章を下賜されたのであった。
          よってこの多田二郎為貞が名実とともに、この打鍼術の祖となったわけである。

          代々その子孫は御園の姓を名のった。









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            posted by ぼんぼん・ボニー at 09:54| Comment(0) | 東洋医学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

            2014年03月20日

            傷寒論という古代の医学書を知っていますか?

            傷寒論は、後漢末期〜三国時代に張仲景が編纂した中国医学書の古典籍ですが、早くに原本、原文の一部は散逸したとされます。

            傷寒論は簡潔な条文で構成され、その治病理論は極めて精緻であり、これまでにも歴代の医家によって研究と追試が試みられただけではなく、関連医書の編纂や多くの注釈本が書かれてきた貴重な古典医学書です。


            そうした傷寒論の専門的注釈本は、現在中国国内でも優に1千種を越える文献が存在するといわれています。


            syou03 















            ここで一つ考えてみてください。

            2千年近く以前の治療情報、薬物情報がいまだ現代にもほぼそのまま通用するということの背景を。

            いわゆるそうした情報は短期間に、より優れたものの登場によって次第に淘汰され消滅していくのが人類史の常套ではなかったでしょうか?

            傷寒論は、いまでも中国医学に関心を持つ世界中の医師や薬剤師にも読まれ続けています。

            不思議といえば不思議です。













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              denden 








              ラベル:傷寒論
              posted by ぼんぼん・ボニー at 18:11| Comment(0) | 東洋医学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

              2014年03月06日

              東洋医学・電磁波過敏症・線維筋痛の治療法資料(2)

              治療ポイント(経穴)を設定していく上で、経験的かつ古典的治療システムとして特異な奇経治療がある。
              奇経治療は、16世紀に中国の著名な本草学者・医師李時珍(1518年〜1593年)が注目し臨床に応用したことが知られている。
              その特徴としていえることは、急性の症状に対して即効性があるということだ。
              その治療法としては、症状のある側ともう一方の治療点として必ずかすがいに経穴ポイントをとる。
              治療時間は5分間程度でよく、多くの場合短時間で効果が発現する。
              治療ポイントが外れるとまったく効果が得られないので治療上の修練度が必要とされる。





              奇経八脈流注・治療チャート
              帯脈−−陽維脈陽キョウ脈−−督脈任脈−−陰キョウ脈陰維脈−−衝脈
              外関後谿列欠内関
               陽白  承泣
               本神 齦交齦交  
               承霊 水溝承漿
               風池風池神庭
               風府 百会
                   
                晴明  晴明
               肩井承泣
                  
                地倉風府  廉泉
               臂臑人迎  人迎
               京門巨骨大椎 欠盆天突気舎
                 
              身柱
                臑兪神道  幽門
                 筋縮  期門
                   
              章門  脊中  腹哀
                   
              帯脈  命門神闕 大横肓兪
                   
              五枢  陽関陰交 府舎
              維道   長強気海
               居リョウ居リョウ 会陰
                     気衝
                   
                   
                     陰谷
                   
                   
                     築賓
               陽交附陽  交信 三陰交
                僕参  照海 公孫
                   
               金門申脈  然谷
              臨泣申脈照海公孫


              奇経の実態と機能の詳細については、拙論をご覧ください。



              は八総穴。は圧診点。



              関連する主要な経穴を相対的に上下に配置したもの。



              原則として左右の八総穴をかすかいに組み合わせる。



              実際の治療応用は奇経病症解説を参照のこと。



              実際の治療応用は一発即効治療を参照のこと。



              実際の治療応用は実験的経絡論を参照のこと。
















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                denden 










                ラベル:中国医学
                posted by ぼんぼん・ボニー at 09:19| Comment(0) | 東洋医学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする